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「ならぬことはなりませぬ」、「保科(ほしな)」という言葉は

会津に生まれた人なら一度は聞いたことのある単語だと思います。

(私、会津の生まれです)

 先日「BS歴史館」というテレビ番組でこの「ならぬことはなりませぬ」

という家訓をのこした保科正之という人物が紹介されました。


 正之は、2代将軍徳川家忠と側室の間に生まれ、4代将軍家綱を終生補佐した人物。


私が興味が引かれたのは、正之の政策です。

江戸の大火の時に、米蔵を開放することによって、

米蔵にたどり着くまでの、火事を避難民に消させたり、

その災害の際に、江戸城の天守閣がなくなったわけですが、

その建設をストップして、人々の救済に集中したという

数々の功績です。

この時代に、災害時に大型公共事業を優先するのではなく、

被災者救援に全力をあげた人がいた、ということにまず感動しました。

 また、90歳以上の人への扶養米支給、つまり掛け金なしの年金制度

です。

テレビでは、「世界で年金制度が確立されたのは200年後。

それほど前に日本で年金制度を作っていた歴史的意義は大きい」

とのこと。

ほかにも、税制改革と減税、

殿様が死んだ後に家臣が後を追って切腹する制度の廃止や、

後継ぎがいない家に養子を迎えることの禁止の緩和、

社倉制度を創設(飢餓対策)

大名の妻子を人質にとる制度の廃止などいろいろあります。


この政策の数々を見ると、「世の中が人々によって成り立っていて、

人々に安心を与える政策によって世の中が繁栄・発展していく」

というようなことをわかってやっているとしか思えません。

本当に今の政治に突き付けてやりたい、保科正之の偉業の数々です。

こうした偉業の数々を会津藩主として、また4代将軍家綱の補佐として

やってきたわけですが、家綱の手柄にするために、最後に記録を

全部燃やしたそうです。

本当に最後でカッコイイ殿様だと思いました。


いろいろな家訓が会津には残っていますが、

「徳川に忠誠を」ということだけが江戸末期にまで

引き継がれ戊辰戦争で最後まで会津藩は戦いました。

番組では「正之は、現実に合わないものは我慢するな、

地に合わないものをすべきでなく、学んでないことそのものが害

になるという考えだった」ということも紹介。

私は歴史は苦手で、どれだけ戦に勝ったか、のような話が多い中で

共感できないなと思っていましたが、保科正之は

違いました。

やっぱり、この教えを今も学んで生かさねば、

と思いました。