10月23日から24日石巻市と女川町に行ってきました。
八王子市の復興支援災害対策特別委員会の視察です。
八王子市は、都内でも他にほかにはない「復興支援」をテーマに
2011年特別委員会を立ち上げました。
党市議団が提案しました。
今回は、石巻市に行きました。
石巻市はあの震災時、被害が広範囲に及び、
時間がたっても水が引かないなど報告され、
日本共産党は、党の力のある東京が集中して
石巻市に入ることになり、私たち八王子市議団と
地域の方々が数十名で、2011年5月と9月に支援に入った場所です。
5月には、まだ市内に魚の腐敗したようなにおいが残り、
食べるもにも困っている方々が、多くおられ
私たちの炊き出しの列には700人もの列ができるほどでした。

今回はどのような変化があるのか、見てみたいと思いました。
まず、立ち寄った食堂でお話をきくと、
「海岸近くは、公園などにする予定。山側の土地は高騰している。
海岸近くに住んでいた人たちは、広い土地に住んでいても等価交換ができなく
狭い土地になってしまうケースもある」とのことでした。
次に石ノ森萬画館を訪ね、被害の状況をお聞きしました。
私たちも、日和山という高台から、この施設を当時見たときには、
がれきや船が打ち上げられていて、大変な状況がわかりました。
1階部分に5、6m近く浸水したそうです。
今では再オープンし、新たな展示なども行っていました。
その後、その萬画館から日和山まで歩いて、党市議団で
特別委員会委員の山口和男議員と行ってきました。

歩いていく途中に堤防工事の看板がありました。
避難所にもなっています。
行ってみると、海側の門脇地域は、一部がかさ上げされていましたが、
何も建っていませんでした。

所有者のわからない新築の住宅が一軒だけ、一階部分が
吹き抜けのまま取り残されていました。

写真は石巻高校の部活の方が元気に練習をしていました。


↑2011年五月の日和山からの光景
なかなか復興計画が、進んでいないところも多く感じました。
二日目は女川町に視察に来ました。
震災後の状況と議会対応についてお話しをお聞きしました。
女川町は、あの震災で町民の約1割の827人以上が犠牲になり、
家屋の9割が被害を受けたそうです。
議会を開く市役所も流され、避難誘導をしていた四人の議員が亡くなりました。
ライフラインだけでなく、公共施設までもが流され、
毛布などの物資も全て流されたそうです。
火葬場まで被害を受けたために、ご遺体をしばらく置かなくてはならないなどの、
目の前の住民の要望に答えていかなければならない議員としての役割をお聞きしました。
のちにわかりましたが、この発言をされた高野ひろし議員は、
日本共産党女川町議で、女川原発再稼働の是非を
住民一人一人に聞くことを党の議員と無所属の議員と3人で
行っている方でした。
「女川町は合併に参加しなかったのが今となっては住民の合意
を得るうえで良かった」と発言されていました。
復興はURに多くの事業を委託していて、山を削り、かさ上げをするなどして、

移転をする準備が進んでいるそうです。
町のあちこちに重機が入って工事をしていました。「H30 年までに必ず復興する」と住民にも説明しています。
山肌も削っているところが多数あり、階段状にして住む計画だそうです。
要望をお聞きしたところ「まずは現状を見に来てほしい」「特産品の販路を」
「コミュニティの再建の手伝いを」
「技術者が必要」とのことでした。
八王子市でも何か答えていかれれば、と思います。

女川町役場前で高野議員の写真を撮らせて頂きました。
八王子市の復興支援災害対策特別委員会の視察です。
八王子市は、都内でも他にほかにはない「復興支援」をテーマに
2011年特別委員会を立ち上げました。
党市議団が提案しました。
今回は、石巻市に行きました。
石巻市はあの震災時、被害が広範囲に及び、
時間がたっても水が引かないなど報告され、
日本共産党は、党の力のある東京が集中して
石巻市に入ることになり、私たち八王子市議団と
地域の方々が数十名で、2011年5月と9月に支援に入った場所です。
5月には、まだ市内に魚の腐敗したようなにおいが残り、
食べるもにも困っている方々が、多くおられ
私たちの炊き出しの列には700人もの列ができるほどでした。

今回はどのような変化があるのか、見てみたいと思いました。
まず、立ち寄った食堂でお話をきくと、
「海岸近くは、公園などにする予定。山側の土地は高騰している。
海岸近くに住んでいた人たちは、広い土地に住んでいても等価交換ができなく
狭い土地になってしまうケースもある」とのことでした。
次に石ノ森萬画館を訪ね、被害の状況をお聞きしました。
私たちも、日和山という高台から、この施設を当時見たときには、
がれきや船が打ち上げられていて、大変な状況がわかりました。
1階部分に5、6m近く浸水したそうです。
今では再オープンし、新たな展示なども行っていました。
その後、その萬画館から日和山まで歩いて、党市議団で
特別委員会委員の山口和男議員と行ってきました。

歩いていく途中に堤防工事の看板がありました。
避難所にもなっています。
行ってみると、海側の門脇地域は、一部がかさ上げされていましたが、
何も建っていませんでした。

所有者のわからない新築の住宅が一軒だけ、一階部分が
吹き抜けのまま取り残されていました。

写真は石巻高校の部活の方が元気に練習をしていました。


↑2011年五月の日和山からの光景
なかなか復興計画が、進んでいないところも多く感じました。
二日目は女川町に視察に来ました。
震災後の状況と議会対応についてお話しをお聞きしました。
女川町は、あの震災で町民の約1割の827人以上が犠牲になり、
家屋の9割が被害を受けたそうです。
議会を開く市役所も流され、避難誘導をしていた四人の議員が亡くなりました。
ライフラインだけでなく、公共施設までもが流され、
毛布などの物資も全て流されたそうです。
火葬場まで被害を受けたために、ご遺体をしばらく置かなくてはならないなどの、
目の前の住民の要望に答えていかなければならない議員としての役割をお聞きしました。
のちにわかりましたが、この発言をされた高野ひろし議員は、
日本共産党女川町議で、女川原発再稼働の是非を
住民一人一人に聞くことを党の議員と無所属の議員と3人で
行っている方でした。
「女川町は合併に参加しなかったのが今となっては住民の合意
を得るうえで良かった」と発言されていました。
復興はURに多くの事業を委託していて、山を削り、かさ上げをするなどして、

移転をする準備が進んでいるそうです。
町のあちこちに重機が入って工事をしていました。「H30 年までに必ず復興する」と住民にも説明しています。
山肌も削っているところが多数あり、階段状にして住む計画だそうです。
要望をお聞きしたところ「まずは現状を見に来てほしい」「特産品の販路を」
「コミュニティの再建の手伝いを」
「技術者が必要」とのことでした。
八王子市でも何か答えていかれれば、と思います。

女川町役場前で高野議員の写真を撮らせて頂きました。
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